㈱日本パーカーライジング広島工場
取締役 吉村和夫
パーカー処理(りん酸塩処理)~100年の歴史~
▲今では、身の回りのありとあらゆる製品に使われているパーカー処理。工業技術の発展に無くてはならない技術ですが、その歴史は意外と古く、その発見ははるか古代エジプトに遡ると言われています。考古学者による古代エジプトのピラミッド発掘で、りん酸塩皮膜により腐食を抑制された鉄片が発見されたことが事の始まりです。このことよりヒントを得て、1906年英国の技術者が最初の特許を取得しました。しかし、当時の技術は処理液を沸騰させ、長時間(2~3時間)浸漬したものでした。その後、短時間化、低温化、皮膜性能の向上、防錆以外の用途開発、応用開発が検討されていきました。
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▲1914年までのりん酸塩技術は、英国近隣諸国にとどまっていましたが、第一次世界大戦以降、米国に普及し、工業的に発展していくこととなりました。
▲1915年英国の特許使用権を取得した米国のParker兄弟が「Parker Rust Proof社」を設立し、本格的に工業的な使用が始まりました。戦時需要も追い風となり、また自動車産業の始まりと時を同じくして、りん酸塩処理は「Parkerizing処理」の名称で拡がり発展していきました。1928年には、塗装下地としての優れた密着性、耐久性の向上が認められました。この年1928年(昭和3年)は、日本パーカライジング株式会社の創業の年であります。
▲第二次世界大戦時には、りん酸塩皮膜が冷間加工の潤滑に極めて有効であることから、塑性加工の領域にまで拡大されました。全国各地にパーカー処理の工場が設立され、兵器産業のあらゆる分野で活用され、日本の工業ではなくてはならない存在となりました。しかし、日本の敗色が濃厚になるにつれ、戦火で日本の工場は爆撃破壊され、終戦間際には仕事もほとんど無くなりました。焼け野原と化した国土を絶望が覆いましたが、それも一瞬でした。戦災によって多くの資材を失った日本産業界にはますますこの技術が必要である、そう確信した日本パーカライジング社は終戦後、生産再開に全力を傾けました。復興の槌音がこだまする中、電力機器、通信機器への応用から始まり、次には自転車・家庭用電気機器・自動車・建築資材へと、日本の産業復活と足並みをそろえてパーカー処理の応用範囲は広がっていきました。さらに高度成長期に入ると、従来は製品部材への応用のみであったものが、鉄鋼分野でボンデ鋼板をはじめ、表面処理鋼板、カラー鋼板等の機能処理鋼板が量産される時代となり、飛躍的な成長を遂げました。
▲昭和30年後半から日本パーカライジング社は、浸炭・窒化を主とする熱処理による耐摩耗・疲労強度の向上にも分野を拡大しました。これらの幅広い金属の表面処理技術は自動車、バイク、製鉄、造船、工作機械、電気器具、精密機器等あらゆる金属製品業界に浸透し、製品の品質向上・製造コストの低減に寄与し、国内産業、輸出産業の発展に貢献したのであります。
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▲時代の要請に応じて、さまざまな形で使われてきたパーカー処理。今また、さまざまな世界の新たなニーズに応えるべく、新技術の開発に注力しています。
参考文献)日本パーカライジング技報 2008No.20
【㈱日本パーカーライジング広島工場】
▲当社は、日本パーカライジング㈱の傍系会社として、地元官財界の後援により、1940年(昭和15年)に操業を開始いたしました。1945年(昭和20年)の原爆投下により罹災しましたが、多くの人々の努力により、ただちに工場を再開しました。翌年、進駐軍の指定により広島県全域の道路標識を受注し、国内でもいち早く標識製造を本格的に開始しました。まだ日本の国道のほとんどが未舗装だった時代です。道路整備の必要性が高まり、モータリゼーションが進展するなか、それにつれて交通安全対策と標識の需要も旺盛となりました。今では交通安全施設は当社の主力商品のひとつとなっています。
一方、戦前から続く表面処理剤の販売、および表面処理加工の分野でも、自動車をはじめとして造船、産業機械など幅広い業界の要請に応え、日々技術を磨いてまいりました。近年は機能性処理にとどまらず、アルマイトをはじめとする装飾処理の分野でも高い評価をいただいております。また、断熱塗料や機能性フィルムなどの商品を通じ、工場やオフィスの環境対策でもお客様のお手伝いもしております。
▲今後も、ますます技術を磨き、顧客ニーズに密着して広く社会に貢献してまいります。







