2009 年 8 月 8 日

ぴかまく公論 読書の薦め

オーエム産業株式会社

難波圭太郎

 趣味は何ですか?と聞かれると、映画鑑賞にゴルフ、スポーツ観戦、あとは読書かなと答えたりするのだが、私の読書には波がある。読み始めると毎日、寝る間も惜しんで何冊も読んでいくのだが、1週間ほど読めないことがあるとパタッとやんでしまい、その期間は3ヵ月を超えたりすることもある。ただ、その間も気になった本は買い込んでおく。気づくと、読んでいない本の方がはるかに多い・・・。また、昔に読んだ本を読み返すこともある。不思議なのは、同じ本、同じ映画でも、その時の自分の置かれている立場や感性、抱えている課題などによって心に残る言葉や場面が違ったりすること。読めば読むほど味が出てくる本に出会うと幸せだ。

 最近、読んで良かったなと思った本が2冊あったので、ご紹介します。

1.  鈴木修/著 「俺は、中小企業のおやじ」

 スズキ㈱の会長兼社長である鈴木さんの著書。

 会社のカテゴリーはもちろん一部上場の大企業であるスズキ㈱であるが、タイトルのとおり経営の考え方(=鈴木会長のスタイル)は、中小企業的である。中小企業の社長が何をどう考え、どう行動するのかがよくわかる。新車のコストやデザインはもちろん、名前まで自分が納得するまで考えたりやらせたりすることなどは気持ちがよくわかる。私が思う中小企業の社長像「自分で決断し、その結果は自分の判断と行動の結果であると潔く受け入れて責任をとる」という、サラリーマン社長にはない悲壮感さえ漂いかねないその姿がここに書かれている。悲壮感が漂わないのは、やるべきことをやりきり、あとは天に任せてなるようにしかならないという、あっけらかんとした割り切り(開き直り)の良さだろうか。これも大事なことだ。

 社員をいかに鼓舞し、いかにまとめ、いかに怒り叱り、いかに褒め、いかに機転をきかせ、いかに窮地を脱し、いかにリスクを勘案し、いかに運を味方につけてきたかなど、鈴木会長の行動に、自分ならどうするかななどと思いながら、あっという間、わずか数時間で読了してしまった。語り口がやわらかいので、物語のようなお話でした。

 中小企業のおやじ~自分の足で行動し、自分の目で観て、自分の耳で聴いて、自分の肌で感じ、自分の頭で考え、自分の心で決断する~

2.  落合博満/著 「コーチング 言葉と信念の魔術」

 中日ドラゴンズの落合監督の著書で監督になる前の野球解説者時代に書かれた本。

 落合監督は、好き嫌いが分かれる監督(人物)だと思う。いや、おそらくプロ野球好きには嫌いな人の方が多いのではないかと思う。それは、あまりコメントをしない落合監督のマスコミ受けが悪いことや、チームプレーが美徳とされる日本野球で「オレ流」「個人主義」と表現される唯我独尊的な印象が強いこと、プロ野球選手なら誰もがあこがれる名球会入りの資格を持ちながらただ一人入会していないこと、日本シリーズで完全試合を目前にしても投手交代するような勝利至上主義的に映る采配などによるのではないかと思う。一時期のイチロー選手にも同様の報道が多かったが、WBCですっかり好印象に変わってしまった。では、落合監督って本当にそんな人なのか? やってることってすごくない? どうしてドラゴンズは毎シーズン優勝争いをしているのでしょうか、不思議じゃない?

 2004年シーズンからドラゴンズの監督をされているが、この就任時の一連のコメントはすごかった。「前監督時代から戦力の補強は特におこなわない、このメンバーで優勝できる。」そう言い切った。そして実際に優勝してしまった。また、福留選手、ウッズ選手、川上選手、中村選手など主力選手の移籍や契約更改なども本人や球団の意向を優先し、その結果について一切の不満も言っていないようだ。むしろ、より自分を評価してくれるチームや自分が挑戦したいフィールド(大リーグなど)でプレーすることを奨励している節もある。与えられた人・物・金の中で結果を出すこと、つまり優勝すべく努力することに徹しているのだろう。そして、大黒柱だった主力選手が抜けようと、優勝(2004年シーズン)、2位、優勝、2位(クライマックスシリーズ優勝、日本一)、3位と毎年好成績を残している。

 監督と選手の役割、良い指導者の条件、組織と責任、組織の中で自分を生かす、食事と睡眠、感性を研ぎ澄ます、異なったカルチャーを持つ人間と話をする、避けられるリスクは負うなといったことについて落合監督の考え方が書かれている。

 たとえばこんなことが書かれている。

 ・落合監督自身が大ファンである長嶋監督は、マイナス思考の強い人。

 ・4番であってもエースであっても、監督の指示や起用方法にまで自己主張してはいけない(自身もしたことはない)。

 落合監督は、監督として「勝つこと」に徹し、「勝つこと」にこだわっている。

 落合監督は、その道を究めようとする“信念の男”、そして間違いなく野球の天才であるが、その野球を挫折したこともある人生から多くを学んだ“人の気持ちがわかる男”、そんな気がする。

 気になっていることがある。落合監督は、投手交代の時に必ず自分がマウンドに行く。一番つらい仕事は責任者である自分の仕事だといつかコメントされていた。この時に何の話をしているのか、それは私が知る限り、一度も内容が明らかになったことはない。ただ一つわかっていることは、交代を告げられる際にボソボソボソボソと何かを言われた投手が、みんなその話に納得しているということだ。いったいどんな話をしているのだろう???

 タイガースファンの私もタメになる話でした。

 興味を持たれた方は、ご一読いただければと思います。また、どちらの本も、当社のホームページにある「社長ブログ」(恥ずかしい・・・)でもう少し詳しく書いていますのでご参照ください。

 長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

カテゴリー: ぴか☆まく公論 — admin @ 5:34 PM

2009 年 8 月 22 日

ぴかまく公論 パーカー処理(りん酸塩処理)~100年の歴史~








㈱日本パーカーライジング広島工場

取締役  吉村和夫

パーカー処理(りん酸塩処理)~100年の歴史~

▲今では、身の回りのありとあらゆる製品に使われているパーカー処理。工業技術の発展に無くてはならない技術ですが、その歴史は意外と古く、その発見ははるか古代エジプトに遡ると言われています。考古学者による古代エジプトのピラミッド発掘で、りん酸塩皮膜により腐食を抑制された鉄片が発見されたことが事の始まりです。このことよりヒントを得て、1906年英国の技術者が最初の特許を取得しました。しかし、当時の技術は処理液を沸騰させ、長時間(23時間)浸漬したものでした。その後、短時間化、低温化、皮膜性能の向上、防錆以外の用途開発、応用開発が検討されていきました。


1914年までのりん酸塩技術は、英国近隣諸国にとどまっていましたが、第一次世界大戦以降、米国に普及し、工業的に発展していくこととなりました。

1915年英国の特許使用権を取得した米国のParker兄弟が「Parker Rust Proof社」を設立し、本格的に工業的な使用が始まりました。戦時需要も追い風となり、また自動車産業の始まりと時を同じくして、りん酸塩処理は「Parkerizing処理」の名称で拡がり発展していきました。1928年には、塗装下地としての優れた密着性、耐久性の向上が認められました。この年1928年(昭和3年)は、日本パーカライジング株式会社の創業の年であります。

▲第二次世界大戦時には、りん酸塩皮膜が冷間加工の潤滑に極めて有効であることから、塑性加工の領域にまで拡大されました。全国各地にパーカー処理の工場が設立され、兵器産業のあらゆる分野で活用され、日本の工業ではなくてはならない存在となりました。しかし、日本の敗色が濃厚になるにつれ、戦火で日本の工場は爆撃破壊され、終戦間際には仕事もほとんど無くなりました。焼け野原と化した国土を絶望が覆いましたが、それも一瞬でした。戦災によって多くの資材を失った日本産業界にはますますこの技術が必要である、そう確信した日本パーカライジング社は終戦後、生産再開に全力を傾けました。復興の槌音がこだまする中、電力機器、通信機器への応用から始まり、次には自転車・家庭用電気機器・自動車・建築資材へと、日本の産業復活と足並みをそろえてパーカー処理の応用範囲は広がっていきました。さらに高度成長期に入ると、従来は製品部材への応用のみであったものが、鉄鋼分野でボンデ鋼板をはじめ、表面処理鋼板、カラー鋼板等の機能処理鋼板が量産される時代となり、飛躍的な成長を遂げました。

▲昭和30年後半から日本パーカライジング社は、浸炭・窒化を主とする熱処理による耐摩耗・疲労強度の向上にも分野を拡大しました。これらの幅広い金属の表面処理技術は自動車、バイク、製鉄、造船、工作機械、電気器具、精密機器等あらゆる金属製品業界に浸透し、製品の品質向上・製造コストの低減に寄与し、国内産業、輸出産業の発展に貢献したのであります。


▲時代の要請に応じて、さまざまな形で使われてきたパーカー処理。今また、さまざまな世界の新たなニーズに応えるべく、新技術の開発に注力しています。

 

参考文献)日本パーカライジング技報 2008No.20

【㈱日本パーカーライジング広島工場】

▲当社は、日本パーカライジング㈱の傍系会社として、地元官財界の後援により、1940年(昭和15年)に操業を開始いたしました。1945年(昭和20年)の原爆投下により罹災しましたが、多くの人々の努力により、ただちに工場を再開しました。翌年、進駐軍の指定により広島県全域の道路標識を受注し、国内でもいち早く標識製造を本格的に開始しました。まだ日本の国道のほとんどが未舗装だった時代です。道路整備の必要性が高まり、モータリゼーションが進展するなか、それにつれて交通安全対策と標識の需要も旺盛となりました。今では交通安全施設は当社の主力商品のひとつとなっています。

 一方、戦前から続く表面処理剤の販売、および表面処理加工の分野でも、自動車をはじめとして造船、産業機械など幅広い業界の要請に応え、日々技術を磨いてまいりました。近年は機能性処理にとどまらず、アルマイトをはじめとする装飾処理の分野でも高い評価をいただいております。また、断熱塗料や機能性フィルムなどの商品を通じ、工場やオフィスの環境対策でもお客様のお手伝いもしております。

▲今後も、ますます技術を磨き、顧客ニーズに密着して広く社会に貢献してまいります。

カテゴリー: ぴか☆まく公論 — admin @ 6:11 PM